意見交換・コメントの広場
北朝鮮問題を含む内外のスターリン主義体制などについて忌憚なく意見を交換する場に切り替えました。必要に応じてHP管理人からも発信します。
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(無題)
投稿者:
中野徹三
投稿日:2006年 5月 9日(火)10時22分4秒
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藤井学兄
労研誌に書かれた「コミンテルンと天皇制」のご論考、大変興味深く拝見しました。いろいろな問題意識がここから誘発され、そのうちにまとめてお送りします。「アヂベコフ」は持っているので、このあたりの議論、この機会にまとめて読んでみます。さしあたっての感想ですが、日本の当時の天皇制を「絶対主義的君主制」としてとらえる32年テーゼと
クーシネン報告の内実は、日本帝国主義自体の現実的分析から、ではなく、かねてからの「トロツキズム」の連続革命論へのスターリン主義的反応(反発)から生まれた理論的奇形物というべきだ、というのが、学兄の論文を読んでいっそう固められた僕の確信でした。連続革命論への反発(これをトロツキズムの踏み絵とする)−−中進国の二段階革命論ーー
ブル民革命段階の先験的設定ーーその前段階としての絶対主義的君主制の、やはり先験的設定、というのが、おそらくその機械論的思考の図式だろう、と思います。これは、1905年の、また1917年春の、20年代の対(トロツキズム闘争」の論争において、またコミンテルン綱領策定期の(資本主義発展度に対応した)革命形態の各国への配分のうちに現れた、ボリシェヴィズム主流の思考を、より粗雑にした非歴史的機械論の典型でした。そしてこの「トロツキズム批判」は、サファロフらの粛清の刃でもありました(アヂベコフ668頁)。この点の批判は、僕も仙台幼年学校出身者の会報『山紫に水清き』47号に、「いわゆる『自由主義史観』が提起するもの」という題の論文で書きましたが(労研1998年6月号に転載)、学兄のご論考は、問題の性格を一層深く基礎づけています。この問題は、また書きます。
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