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この間の聖書のわかちあい

 投稿者:西山のたぬき  投稿日:2000年 4月27日(木)23時12分7秒
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  「長血の女とヤイロの娘」(マルコ5:21ー43)

少女の死、婦人の出血「けがれ」を共有して、いやしが行われる

絶望のふちで、最後の希望をイエスに託した者たちが登場してくる。一人は愛する
者のために、自分の立場さえ省みない者会堂長ヤイロ、もう一人は社会から完全に
疎外されていた女性である。
奇跡の前提として、信仰が描かれている。「むすめよ、おまえが信頼をもってあゆ
みを起こしたことが、おまえを救ったのだ。安心して行きなさい。おまえがそのわ
ずらいから解放されるように。」(本田訳)。
いやしがなされたから救いが来たのではなく、イエスへの信頼にかけた事、それに
こたえたイエスの関係性そのものが奇跡を生むことになった。それは奇跡そのもの
よりも大切なことである。疎外されていた女性の痛みを知り、彼女を探しだそうと
したイエスに心揺り動かされ、ついに彼女は公の場に出る決心をする。社会生活へ
の復帰、それはイエスのいやしの大きなポイントである。
ヤイロというステイタスのある人のなりふりかまわない姿、いままで社会から疎外
されていた長血の女の信仰、ここに起こっている出来事は、まさにイエスとの人格
的な交わりを通して共同体の意味が変革され、全く立場の違う人々が関わり合うと
いう奇跡を生んだことである。
この箇所のキーワードは痛みの共感だろう。


 

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