悠々会 コミュニティ広場

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カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


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[407] Re: 創立百周年記念パネルデイスカツション

投稿者: DVD事務局 投稿日:2018年 5月25日(金)14時32分45秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.393[元記事へ]

         かねてお願いしていましたが、高乃口副校長先生より「創立百周年記念パネルデイスカツション」につき、後日映像を記録したDVDを悠々会に提供いただける旨ご了解をいただきました。
後日作成の悠々会DVD文集の一部として皆様のお手元にお届けします。

> 創立百周年記念パネルデイスカツション申込者12名にチケットを今月末までにはお届けします。追加の申し込みも可能ですので早めに私(久木田)あてに連絡ください。メールbiovent@fat.coara.or.jp; Tel&Fax (092)523-6475
>
> なお、これまでテーマが未定でしたが、テーマは次の通りです。
> 『福中・福高百年-日々に新たなり-
>  -語り合う福高時代、語り継ぐ夢と未来-』
> ・パネリスト 中村 哲 先生(ペシャワール会現地代表・高17回)
>        外尾 悦郎 氏(サクラダファミリア贖罪聖堂 芸術工房監督・高25回)
>        江口 カン 氏(映像デイレクター・高38回)
>  コーデイネーター 林田 スマ 氏(大野城まどかぴあ館長・高18回)
> ・日時 平成30年6月9日(土) 開場9:30 開演10:30
> ・会場 福岡国際会議場 2F多目的ホール
>
>



[406] 仕事は一人でできない

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 5月16日(水)17時22分55秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

今回は経済界で活躍する人々です。
ご承知方も多いと思いますが、福岡には七社会というのがあります。
1950年代に総会屋対策の情報交換などを目的に九州電力・西部ガス・西日本鉄道の3社で発足し、その後、福岡銀行・西日本銀行・福岡シティ銀行・九電工の4社が加わり7社となった。2004年(平成16年)に西日本銀行と福岡シティ銀行が合併して西日本シティ銀行となったが、JR九州が加入して引き続き7社となっている。
七社会は通称で、互友会(ごゆうかい)というのが正式な名称、福岡県福岡市に本社を置く有力企業7社によって構成される任意団体である。
新聞記事は九電工会長の藤永憲一氏(1969年卒)、西鉄エムテック会長の中尾和毅(71年卒)が紹介されているので記事をご覧ください。更に七社会のそれ以外の人材が紹介されています。

その次の記事は福岡市に本社がある「東証1部上場企業」として、メーカー商社の「リックス」が挙げられている。会長として安井龍之助(62年卒)君の名前が挙げられているが、ご承知と思いますが安井玄一郎君の弟です。
安井玄一郎君と七社会の人物とはどこが違うのか。
七社会で紹介された人材はいわば企業に入社して出世して重要なポストを務めた人です。
安井玄一郎君は会社を上場企業に築き上げた人物です。いわば創業者です。
いやそうではなくて、正確には基盤となる会社(山田商店)があってそれを上場企業に育て上げたといった方が正確ですが、上場企業を立ち上げた人物です。
サラリーマンで入社して社長になった人とはちょっと違う。
バブル経済をはじめ、幾多の苦難を乗り越えて、走り続けて、企業を発展させた。
日本経済新聞の記事に、安井君の株式上場時の意気込みが出ていますので紹介します。
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(記事の写真を掲載していますが、重複しますがここに記載します。)
『価値あるメーカー商社に』
“七日に福岡証券取引所に株式を上場した産業機械商社、リックスの安井玄一郎社長が目指すのは、「存在価値を主張できる会社」。その一つが商社でありながら、メーカー部門を強化してきたことだ。
戦前から産業機械商社として、鉄鋼分野などで実績を積んできた同社だが「ファックスが普及しはじめたころ、情報伝達手段の発達に焦りを覚えた」と振り返る。ユーザーである製造業の声を吸い上げるのは、商社の得意とするところ。だが、産業機械メーカーとユーザーの距離が縮まれば商社は不要となる。
そのために取り組んだのが、独自商品の開発だった。今では高圧水を使った精密洗浄機では「技術力は世界一」と自負するまでに育った。取引先も半導体、自動車などに広がった。自社を「メーカー商社」と表現しており、「現在35%程度のメーカー部門を早急に50%まで拡大する」と話す。
「産業機械は技術革新が早い。生き残るためには技術提携や買収、合併も不可欠だろう」と見る。株式公開でそのための情報収集力強化や知名度向上を狙う。バブル経済崩壊後の業績後退で上場が遅れ、「とにかく上場まで」と走り続けてきたが、今後は「右肩上がりの業績を残せるようにしている」と息をつく暇が無い。“
(やすい・げんいちろう=福岡県出身、55歳)
掲載日 1996年11月08日 日本経済新聞014ページ
日本経済新聞社にホームページ並びに悠々会DVD文集に掲載することについて著作権上の許諾を得ています。
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安井龍之助君は弟ですが、九大の工学部を出ている。お互いに助け合いながら協力して会社を築き上げた。
なお、安井君は悠々会DVD文集に「75年を振り返って」という寄稿を掲載していますので、ぜひもう一度ご覧になってください。

さて続けて東証1部上場会社として、建材販売OCHIホールディングス社長越智通広(71年卒)氏が紹介されているのでNetで検索してみた。
社長あいさつに一部以下の通りです。
当社グループは、「住生活に関するビジネスを基軸として、生活文化の向上と地球環境の保全に貢献します。」との経営理念のもと、住生活に関するビジネスを充実させるとともに、新しい分野へ事業ポートフォリオを拡大することで、「住生活と産業資材のトータルサプライヤー」を目指しております。とあります。
内容は全く分かりません。安井君と同じように創業者としての苦労があったと思います。

さらに、福岡運輸ホールディングス会長の島田隆士(60年卒)君が紹介されています。
福岡運輸は日本で初めて冷凍車をつくり、日本の低温流通に大きく寄与しています。
朝鮮戦争後、米軍は板付基地周辺部隊へ食料低温輸送を行うため、説明会を開催して冷凍車開発に乗り出す企業を募ったところ、福岡運輸が名乗りを上げ受注しました。そして矢野特殊自動車と協力して日本で初めて冷凍車を完成させました。
日本初の冷凍車(復元車両)は2012年に『重要科学技術史資料(未来技術遺産)』に指定されました。
福岡運輸の創業者は富永シヅという女性です。
平成29年3月26日、富永ジヅの歩んだ道のラジオドラマ「はこぶおはなし~富永シヅの敷いた道~」がFM福岡から放送されました。
FM福岡で放送される際、ホームページでお知らせしましたが、関東関西の方は受信できませんでした。何とか福岡以外の方にも聞いてほしいと、FM福岡と数回交渉し、悠々会DVD文集に掲載するため、ラジオドラマの著作権上の使用許諾を得ました。
後日収録して配布しますのでご期待ください。
取りあえず、ここではあらすじだけを紹介しておきます。
富永シヅは五島の生まれで両親は教師、自身も18歳で小学校の教師になった。24歳で結婚してその後五島から福岡に来た。戦時中に病で夫を亡くし、「明日からお父さんはおらんけん、しっかりしなっせ」と二人の子供に言い聞かせて立ち上がった。
戦後まず、世の人が求めるのは食料ということで、漁業・水産会社を創ったところ魚が売れに売れた。次に復興に必要なのは物流ということで福岡倉庫を創ったところ戦後の復興資材などでフル回転。さらに倉庫には輸送が必要ということで福岡運輸を創った。ところが運輸会社の経営は四苦八苦。営業の責任者が夜逃げする始末。
そんな頃米軍から輸送業者向け説明会があり、冷凍車開発に乗り出す企業を募った。他の会社がしり込みするなか富永シヅさんは目をキラキラさせて聞いていた。そして他社が断った中でシヅさんが契約を引き受けた。
冷凍庫を乗せたトラックを創らなくてはならない。どの自動車工場も無理だと言われ笑われる。最後に矢野特殊自動車へ。シヅさんは矢野特殊の社長が、並の人やったらダメ、「変人やったらよかね」と期待する。矢野特殊の社長は「新しいことは無謀だから好き」「やってみる」となった。
それから1年2ケ月幾多の困難を乗り越えて冷凍車が完成。それが写真の2012年重要科学技術史資料(未来技術遺産)に指定された車(復元車両)です。
ラジオドラマの中ではどちらも無謀な変人みたいに表現されていますが、とんでもない。既定概念にとらわれない、進取の気根を持ったパイオニアと私(図師)は思う。
さて、車は開発されたが受注は米軍のみ、その米軍の引き揚げが迫ってきた。料金は一般荷物の倍、国内の受注が得られない。シヅさんにとっては営業能力のある人材が欲しい。そこで目を付けられたのが銀行マンだった島田君。シヅさんのお誘いで入社。
福岡運輸には東大を出たシヅさんの次男がいた。島田君にどうしたらいい、と問うたところ、「冷凍冷蔵輸送の良さを知ってもらうこと」とごく当たり前のことを答える。
ラジオドラマにあるように、それまで福岡運輸の幾多の営業が受注できなかったのですよ。ドラマを聞いていて当たり前のことをしていたのではだめでしょうと私(図師)は思った。ところが島田君は当たり前のことを当たり前にと、全九州を2度3度と廻って一つ一つ説き伏せると活動。
やがて鹿児島経済連から「絹さやエンドウ」は高級食材だけどいたみやすい。すぐに黒く変色してしまって南九州から抜けられない。何とか首都圏へ運べないか、との相談があった。鹿児島から東京へ、当時は高速道路もやっと開発段階、ごく一部分だけ開通した程度、国道3号線を上り、2号線を上り、鈴鹿峠を越えて、箱根を越えて、ひたすら東京中央卸売市場へ、冷凍輸送の最初の成功です。
東京市場への冷凍輸送の成功を確認した富永シヅ社長は「やっと運べたね」「いっぱい届けたね」「私ら役に立てたね」「お役に立てた」「良かったね」とつぶやいた。
シヅさんは「お役に立てた」かどうかが価値観の中心になっている。表現を変えれば企業が本当に社会貢献できているかどうか、ということでしょう。
さまざまな企業で「社是」とか「企業理念」とか表示しています。なかには儲け第一主義、ひどいのになると儲かっていないのに儲けたと虚偽表示する経営者もいる。粉飾は別にして富永シヅさんは、本当に人々に役に立ったかどうかが価値判断の基準になっている。
経営が厳しいとき、島田君をつかまえて「あなたこのごろお役に立っているね」と問いかける。ドキッとして「お役に立っています」といえば、「あなたがお役にたって、社員がお役に立って、会社がお役に立っている」めずらしい経営者ですね。と島田君のコメントがあります。社会貢献(世の中のお役に立っているかどうか)が、お題目でなく心から願っている経営者ということでししょう。
島田君は「物流というのは人間生活において絶対的に近代的な食生活に欠かせない」と思っていたとのことでした。
このラジオドラマは「実話をもとにしているが、一部フィクション」というナレーションで締めくくられています。
あらすじの紹介には私(図師)の感想が含まれています。皆さんさまざまな見方、考え方があると思います。後日悠々会DVD文集が手元に届いたら是非鑑賞してみて下さい。

福高賛歌(40)の話を先へ進めます。次には建設関係で旭工務店社長吉弘直彦(71年卒)と副社長因幡克昭(73年卒)、松本組社長松本優三が活躍するとあります。
旭工務店はNetで調べて一部抜粋します。
「新規建設事業」
人々がより長く「使える・住める」建物づくり、住空間は人々の営みにおいて最も小さな「社会」です。旭工務店はこの小さな社会を、創業70年の豊富な建築実績と、「人々の生命と財産を守る」という使命のもと提供しております。
「大規模改修・リフォーム事業」
マンション・ビルから戸建住宅までニーズに合わせた施工。建築物は年月が経つと、風雨に晒されるなどして色々な箇所が劣化してきます。旭工務店ではこのように竣工から年数が経過し劣化が目立ってきたマンションやテナントビルなどの大規模な改修工事を承っています。
実は、旭工務店の社長は次回福高賛歌(41)に出てくる「異業種交流」の世話人の一人でもあります。これ以上のことは分かりません。

松本組もNetから一部抜粋です。
「開発事業部」
本部門は、土地をお探しのお客様、建物をお探しのお客様に、その規模の大小を問わずニーズに合致した物件提供を行っています。売主の方、買主の方、貸主の 方、借主の方、すべてのお客様から安心して不動産の仲介及び土地利用の提案を任せていただけるよう、日々努力しています。記載している内容の業務及びそれ以外でも何でもご相談できる事業部です。お気軽にご連絡ください、よろず請け負います。
「土木事業部」
ダム、下水道築造、橋梁工事、高速道路の橋脚、高速道路の法面、高速道路のインター、共同溝、トンネル、公園、宅地造成
土木事業部は、松本組がその歴史をスタートさせた土木事業を手がける部門であり、連綿と息づく技術を今も守り続けています。
「建築事業部」
学校、病院、オフィスビル、マンション、商業施設、庁舎、店舗、リフォーム・メンテナンス
建築事業部の仕事は、その名のとおり、主に建造物を建築することです。ひとくちに建造物と言っても、その種類は多岐にわたります。こどもが通う学校、お年寄りから赤ちゃんまで来院する病院、ビジネスシーンの中心となるオフィスビル、人生で最も多くの時間を過ごす住居マンション、都市生活には欠かせない商業施設や店舗、公の機関の庁舎。どれをとっても私たちの生活に密接に関わるものばかりです。

麻生グループには杉山嘉則(81年卒)が取締役だとあります。
「株式会社 麻生」
麻生太吉が明治時代に飯塚市で始めた「麻生炭鉱」を源流とし、現在ではセメント事業、専門学校運営、病院経営、医療廃棄物処理など幅広い分野の事業を手掛けている。
飯塚病院は、もともと麻生炭砿労働者のために開設されたものであったが、現在は筑豊地区の中核医療機関の一つに位置づけられている。
麻生塾は、麻生太賀吉が1939年(昭和14年)に私財を投じて飯塚市柏森に創設した私塾。
麻生メディカルサービス(アップルハート)や各公益法人は、飯塚病院の事業から派生したもので、コムスンが破綻した際、その福岡県における事業を引き継ぎ麻生介護サービス株式会社として事業を新たに展開している。
2015年現在会長を務める麻生泰は、政治家・第92代内閣総理大臣、麻生太郎の弟。太郎自身も、政界転身まで前身となる麻生セメント株式会社の社長を務めていた。
以上福高賛歌(40)でした。

写真は
中:安井君上場時の日経記事。
下は日本初の冷凍車(復元車両)『重要科学技術史資料(未来技術遺産)』



[405] 桧原桜の写真カラ―に入れ替えました

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 5月 8日(火)18時27分14秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

投稿番号[401]Re:著作権使用許可(学研)と[402]同じく使用許可で掲示している道徳の副読本の写真を、福岡市立西花畑小学校 本水恭子 校長先生から提供を受けてカラー写真に入れ替えましたので、お知らせします。該当の投稿をご確認ください。



[404] Re: 苦悩から思索、作品へ

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月29日(日)21時39分29秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.403[元記事へ]

> 今回は芸術家やスポーツ界編です。

> 小松親分とお酒の写真は引用で掲示します。

写真には、加藤・原田・溝口・青柳・図師が写っています。
大桑君は所用で早めに帰りました。(うまい酒を残念でしたね)
お酒は賀茂鶴酒造製造:フアンが造ってくれたそうです。

(ダブルクリックで拡大したものが見れます)




[403] 苦悩から思索、作品へ

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月29日(日)19時46分22秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

今回は芸術家やスポーツ界編です。
今後は「福高賛歌」の著作権上の許諾を得ていますので、文字が読めるサイズで掲載します。
まずご一読ください。詳細の記事がない方は主にNetで調べて紹介します。多士済々です。

外尾悦郎(バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)
福高12回卒悠々会会長であり、東京福中・福高同窓会会長であり、外尾悦郎の会幹事長である島田隆士兄に「外尾悦郎」について寄稿いただきました。
以下のとおりです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
求道者「外尾悦郎」
外尾悦郎と出会ったのは八年前、料亭「老松」で彼の支援者から紹介されたのが初めてであった。彼は“武士”そのものであった。
武士道の精神は“仁義礼智信”で表現されるが、最初の“仁”はやさしさである。彼の全身からほとばしる威厳に圧倒されたが、真の男が持つと言われるやさしさとあたたかさに胸を打たれた。この男は凄い。
大学卒業後すぐに“自分さがし”のため、ひとりで日本を旅立ったという。
幾多の試練に遭ったが決してくじけることなく、終わりのない闘いを背負い続けている。
「ガウディが求めていたものは何か」自分にそれを問いかけ、ずっと道なき道を歩いてきている。彼は、ガウディの遺志を間違いなく受け継いでいるが、そのための苦悩も大きいと思われる。しかし、それをエネルギーに換えて前進を続けていることは驚愕に値する。
七百年前に造り始められてイタリアフレンツェにある通常ドゥオモと呼ばれるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂には正式な聖書台がなかった。一昨年その聖書台制作のため、世界中から指名を受けた彫刻家達がフィレンツェに集められコンペが始まった。最後に五人の彫刻家が選ばれ、その中に外尾氏の名があった。
その五人の彫刻家が制作した聖書台の中から最後のコンペで彼の聖書台が選ばれ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に設置された。
まさに世界一の彫刻家となった瞬間だ。それを見た信者の皆さんから、“あれを見ると七百年前からあったような聖書台ね“と感嘆の声が上がったとのことである。外尾氏にどんな考えで制作にあたったのかと聞いてみた。
“もし七百年前からあったとすればどんな聖書台であったか「本来あるべき姿」を求めて作った”との答えであった。最後に残った五人の彫刻家の他の四人は自分の作品に自分自身を表現したのだと思われる。“彼の作品が一番いい”と決めた審査員も外尾氏と同じ方向を見ていたのである。
「本来あるべき姿」を求める。このことを多くの人が忘れている。政治家も官僚も経済人も「本来あるべき姿」になっていない。
彼が作った聖書台は、われわれが忘れかけている一番大事なことを蘇らせてくれた。
「本体あるべき姿」を求めることは至極当たり前のことである。その当たり前が出来ていない。
親も先生も子どもたちも全ての人が「本来あるべき姿」を求めよう。そうすれば、我が国の未来は明るい。
外尾悦郎は、男はやさしく、そして強くなければならないことを、そして真の価値観を持って、生き抜かなければならないことを教えてくれた。
あなたは、日本の誇りであり、数少ない真の日本人であると確信しております。
外尾さん、ありがとう。
謝謝
平成30年4月吉日
外尾悦郎の会
幹事長 島田 隆士

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の聖書台コンクールで外尾悦郎が選ばれた時、枢密卿から一言「これから君はミケランゼロと戦うんだね」

小松政夫(コメディアン)
小松 政夫1942年1月10日 生まれ。コメディアン、タレント、俳優、 声優。社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)。本名、松崎 雅臣(まつざき まさおみ)。 福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。愛称は親分さん、小松の親分(自らのコントから)。
実父は地元の実業家で名士だったが、小松が13歳の時に病死し、以後家族は貧窮を極めた。昼は亡父が懇意にしていた菓子店・石村萬盛堂で働き、夜は福岡高校定時制に通い生計を支える。
1961年(昭和36年)に俳優を目指し、兄を頼って横浜へ出て来る。芸能界入りする前にはさまざまな職業を転々としたが、横浜トヨペットのセールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいた。
1964年(昭和39年)1月より植木等の付き人兼運転手となり、その際の月給はわずか7000円。6畳の部屋代が6000円残りは1000円。1週間の睡眠時間が10時間でも「全然つらくなかった」「尊敬する一流の師(植木等)のそばにいて、お世話ができる。それだけで幸せでした」とのこと。その後元々役者志望だったことを知った植木やクレージーキャッツのメンバーの助けもあって芸能界入りした。
コメディアンとしてのデビューは『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)。レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」(1976年発売)、「しらけ鳥音頭」(1978年発売)、淀川長治の物真似などで一躍人気コメディアンとなる。
2011年(平成23年)6月20日には社団法人日本喜劇人協会の第10代会長に選出された。
2006年(平成18年)から2007年(平成19年)にかけて自伝的小説『のぼせもんやけん』を上梓、2017年(平成29年)には同作を原案として『植木等とのぼせもん』と題しテレビドラマ化された。

平成30年4月22日博多区のパピヨン24で『小松政夫SHOW帰ってきた!マサ坊』演芸会がありました。500の座席は満席。13:00開演で小休憩がありましたが、小松政夫はほとんど出ずっぱり、約3時間の熱演でした。
昭和17年1月の誕生ですから悠々会のメンバーと同じ年齢、平成30年4月現在、76歳です。舞台ですから動き回ります。とてもタフなのに驚きました。
内容は小松政夫の自叙伝とパロディ、植木等やクレージーキャッツとの関わり、ギャグ作りの裏話なども豊富に出てきました。そんなことだったのですか、と驚いたり笑ったり楽しい3時間でした。
舞台終了後、共演の皆さんともども、親しくレストラン「&and」(アンドアンド)にて談笑しました。
溝口さんが博多2中の2年生の時同じクラスで、その頃から親しくしてたとのことです。中学生の頃からみんなを笑わせるのが好きで、今と一緒のキャラでしたとのことでした。本名松崎雅臣(まつざきまさおみ)なので小松政夫のことを昔なじみの本名“松崎さん”と呼んでいました。
談笑の中、高級なお酒やワインや焼酎などアルコールも盛りだくさんでした。
私(図師)は特製の「小松の親分」という酒を見つけて空瓶を頂戴し、しっかりサインもしてもらいました。参加された悠々会の皆さんには恐縮ですが、言い出しっぺで有り難く頂戴しました。
写真を引用で掲載しています。

山口 俊彦(オペラ歌手)
福岡県出身。東京芸術大学、同大学院オペラ科修了。文化庁オペラ研修所第1期生修了。
1978年より文化庁在外研修員としてミラノで研鑽を積み、数々のコンクールで受賞。
1983年よりドイツのプファルツ劇場と第1バスとして専属契約を結び『魔笛』のザラストロをはじめ多数のオペラやコンサートで活躍した。
帰国後も国内外のオペラに精力的に出演し、幅広い役をこなせる貴重なバスとして活躍している。
合唱指導者としても定評があり、現在保土ヶ谷女声合唱団のほか大田区民オペラ合唱団の常任指揮者を勤める。大田区民オペラ協議会理事長。
日本音楽家ユニオン会員。

江口カン(映像ディレクター)
1967年(昭和42年)福岡生まれ。福岡高校(38回生)時代にロッキーのパロディ映画を撮る(監督第1作)。
2007~2009年(平成19~21年)、世界で最も重要な広告賞として知られるカンヌ国際広告祭で3年連続受賞(2007年銅賞/2008年銅賞/2009年金賞)。
Boards Magazine(カナダ)主催「Directors to Watch 2009」14人のうち1人に選出される。
2010年(平成22年)から2012年(平成24年)まで3年連続でクリオ賞(アメリカ)審査員を務める。
2013年(平成25年)、東京五輪招致PR映像「Tomorrow begins」のクリエイティブ・ディレクションを務める。
2013年(平成25年)放送のテレビドラマ「めんたいぴりり」(テレビ西日本)の監督を務め、平成26年日本民間放送連盟賞優秀賞、ATP賞ドラマ部門奨励賞、ギャラクシー賞奨励賞受賞。
2015年(平成27年)、続編の「めんたいぴりり2」が放送。前作に続き平成26年、平成27年と2年連続で日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。
映像の世界は知りませんが、様々な賞を獲得し、多大な活躍をしてあります。

岡松和夫(芥川賞作家)
福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。
1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。ほかに加賀乙彦、佐江衆一、後藤明生、高井有一らも参加していた。
1966年に関東学院短期大学国文科専任講師に就任、1968年に助教授となり、1973年には教授へ昇任。
作家としては1974年、「墜ちる男」で第70回芥川龍之介賞候補、「小蟹のいる村」で第71回芥川龍之介賞候補となり、1975年、「熊野」で第72回芥川龍之介賞候補になった。翌1976年、「志賀島」で第74回芥川龍之介賞を受賞した。
1981年、研究者としてブラジルのサンパウロに滞在。1985年、「面影」で第12回川端康成文学賞候補となり、1986年に『異郷の歌』で第5回新田次郎文学賞、1998年には『峠の棲家』で第2回木山捷平文学賞をそれぞれ受賞した。
国文学者としては一休宗純の研究などを行っていた。
2012年1月21日、肺炎のために逝去。80歳没。

藤原智美(芥川賞作家)
藤原 智美(ふじわら ともみ、男性、1955年7月20日 )は、日本の小説家、エッセイスト。芥川賞受賞。
福岡県福岡市出身。福岡県立福岡高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1990年、フリーランスのライターの傍ら『王を撃て』により小説家デビュー。1992年『運転士』により第107回(1992年上半期)芥川龍之介賞受賞。
『運転士』講談社、1992。『R リアリティ』集英社 1994。『群体』講談社 1994。『恋する犯罪』読売新聞社 1996。『メッセージボード』読売新聞社 1997。『ミッシングガールズ』集英社 1998。『モナの瞳』講談社 2003。『私を忘れないで』(絵本)森祐子絵 インデックス・コミュニケーションズ 2006。『骨の記憶』集英社、2011。

原尞(直木賞作家)
原 尞(はら りょう、1946年12月18日 )は、日本の推理作家。本名は原 孝。佐賀県鳥栖市生まれ。福岡県立福岡高等学校、九州大学文学部美学美術史科卒業。福岡高校の同期に医師の中村哲がいる。
大学卒業後上京。フリージャズ・ピアニストとして活動し、高木元輝や阿部薫らと共演した。1971年、日本幻野祭に高木元輝トリオのメンバーとして出演。このときの演奏は『幻野』のタイトルでレコード化されている。
その後、帰郷して執筆に専念、1988年、西新宿に事務所を構える中年私立探偵・沢崎を主人公とした『そして夜は甦る』で作家デビュー。
『そして~』から第2作『私が殺した少女』発表まで1年半、『私が~』から第3作『さらば長き眠り』発表まで(短編集を挟んで)6年、『さらば~』から第4作『愚か者死すべし』発表まで9年、『愚か者~』から第5作『それまでの明日』発表まで14年を要しており、デビュー以来30年で長編5作、短編集1冊、エッセイ集1冊(文庫化にあたり2分冊)と、自他ともに認める寡作、遅筆作家である。「われながら困惑するほどの遅筆ぶり」であると述べている。
1989年 『そして夜は甦る』で第2回山本周五郎賞候補。『私が殺した少女』で第102回直木三十五賞受賞。1990年 『私が殺した少女』でファルコン賞受賞。1991年 『天使たちの探偵』で第9回日本冒険小説協会大賞最優秀短編賞受賞。

白石一文(直木賞作家)
白石 一文(しらいし かずふみ、1958年8月27日 )は、日本の小説家。父は直木賞作家の白石一郎。双子の弟は小説家の白石文郎。2010年「ほかならぬ人へ」で直木賞を受賞。初の親子二代での受賞となった。
福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。その後、文藝春秋に入社、週刊誌記者、文芸誌編集などを経る。
パニック障害を患い、一時休職。現場復帰するも、退社、作家専業となる。
2009年「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で第22回山本周五郎賞を受賞する。
2010年「ほかならぬ人へ」で第142回直木賞を受賞する。

大西巨人(小説家・評論家)
大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月20日 - 2014年(平成26年)3月12日)は、日本の小説家・評論家。本名は同じく「巨人」と書いて「のりと」。マルクス主義の立場を堅持し、唯物論的観点から個人の尊厳を創作で追究した。小説・批評のいずれにおいても、常に主体を明確にした、論理性を重んじる文体を用いている。
福岡県福岡市出身。福岡中学、福岡高校卒業、九州帝国大学法文学部中退。大阪毎日新聞(現・毎日新聞)西部本社勤務を経て、1942年対馬要塞重砲兵聯隊入隊。
1946年 福岡高校の同級生であった宮崎宣久とともに綜合雑誌『文化展望』を創刊。『文化展望』に執筆した時評文が注目され、『近代文学』同人となる。
上京後、1950年代前半には新日本文学会の事務局に勤務し、会の組織再編を担当しながら評論を書く。このとき、会再編の方法と野間宏『真空地帯』を論じた「俗情との結託」での作品評価をめぐって宮本顕治と論争する。
兵隊経験を基に、日本軍を舞台にした全八部約四七〇〇枚の大長編小説『神聖喜劇』を約四半世紀を費やして著す。この論争については、北村健太郎の「神聖な義務」が詳しい。
1992年には、異色の推理小説『三位一体の神話』を発表。その後も『迷宮』『深淵』と社会派推理小説のタッチを援用した文学的なミステリを上梓している。
2014年3月12日、肺炎のためさいたま市中央区の自宅で死去。97歳没。

島村菜津(ノンフィクション作家)
長崎県生まれ、福岡県育ち。福岡県立福岡高等学校、東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。イタリア美術史を専攻。
大学在学中にはイタリア美術史を専攻。卒業後にイタリアに留学し、以後現地での数年間にわたる取材をもとにした著書「スローフードな人生!-イタリアの食卓から始まる」を刊行。 同書は日本で当時ほとんど知られていなかったスローフードを紹介したものであり、以後日本でスローフードが広く知られるようになった。
スローフードとちぎ協会会員。
『エクソシストとの対話』- 21世紀国際ノンフィクション大賞(現小学館ノンフィクション大賞)優秀賞
『エクソシストとの対話』小学館、1999年。『スローフードな人生!-イタリアの食卓から始まる』新潮社 2000年。『イタリアの魔力 怪奇と幻想の「イタリア紀行」』同朋舎 2001年。『スローフードな日本!』新潮社 2006年。『バール、コーヒー、イタリア人 グローバル化もなんのその』光文社新書 2007年。『スローフードな食卓を! 安全で旬の味を子どもたちに』ちいさいなかま社 2008年。『スローな未来へ 「小さな町づくり」が暮らしを変える』小学館 2009年。『エクソシスト急募 なぜ現代人が「悪魔祓い」を求めるのか?』メディアファクトリー新書 2010年。『生きる場所のつくりかた 新得・共働学舎の挑戦』家の光協会 2013。『スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』光文社新書 2013年。

白石 尞(福高賛歌(38)には出ていません。惜しくも早世。ひょってすると芥川賞・直木賞を受賞したかもしれない同級生)高校12回生。
高校生の時、民放(RKB?か KBC?)のラジオドラマの懸賞募集があり、入賞してラジオから放送されたことがあった。筑紫の磐井の乱をテーマにしたドラマだったような気がする。
また高校生向け月刊誌「蛍雪時代」?の懸賞に入選したが、内容まで覚えていない。ひょっとすると、将来芥川賞・直木賞の作家になるのではないかと思っていたが早世した。対馬の出身だったような気がする。(福高賛歌(38)の文学界の記事をフォローしていて、ここまできてふと思い出したので記載します。白石尞君の詳しいこと、誰か知りませんか。図師)

長谷川法世(漫画家)
福高賛歌(35)で紹介済み。「博多っ子純情」で一躍有名になった。

倉田真由美(漫画家)
倉田 真由美(くらた まゆみ、1971年7月23日 )は、漫画家。本名、叶井 真由美。通称「くらたま」。代表作は『だめんず・うぉ~か~』。
一橋大学商学部卒業。 元NHK経営委員会委員。恵泉女学園大学非常勤講師。
本人によれば、中学3年生の時にスパルタの塾に通って猛烈に勉強したため、大学にはその余力で受かったみたいなものと述べている。 高校時代は「それほど熱心に勉強せずにマンガを描きながら、勉強もしたという感じが近い」と述べている。(それで一橋大学合格・・・何というか・・立派です。でも理解不能。図師)
倉田の漫画家活動は就職活動に失敗したことから始まる。大学4年の就職活動で山一證券の最終面接まで残ったが、面接官からこの会社を選んだ理由を聞かれた倉田は「歯医者が近いので」と思ったことをそのまま口に出してしまったために面接官の不興を買い、最終面接で落とされた。このエピソードを元に就職活動に失敗する女子学生を描いた漫画を、『ヤングマガジン』ギャグ大賞に応募。大賞を受賞し、デビューを果たした。
2000年に週刊誌『SPA!』で、大きな欠陥のある男性との交際を繰り返す女性たちについて描いた作品『だめんず・うぉ~か~』の連載を始め、ブレイクを果たす。以後、恋愛・男女関係やコミュニケーションに関する仕事が増える。現在では漫画家としてだけではなく、主にコメンテーターとしてテレビなどにも多く出演している。
ダメな男(だめんず)ばかりを渡り歩いて行く(好きになってしまう)様な、男を見る目のない女≒男の趣味が悪い女(だめんず・うぉ~か~)のダメ男体験談を紹介するノンフィクション。ときどき、倉田自身の恋愛論や身辺雑事エッセイの回がはさまることもある。ドラマや演劇の原作になってはいるが、いわゆるストーリー漫画ではない。
男性を徹底的にこき下ろす作風のため、本作によって『SPA!』の女性読者数が大幅に増えたという。ただし一方的に「だめんず」のみを非難するのではなく、彼らを選ぶ女性側にも問題があるというスタンスで描かれていることが多い。

米倉健司(プロボクサー、日本フライ級チャンピオン・東洋バンタム級チャンピオン)
米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - )は、日本の元プロボクサー。現在はヨネクラボクシングジム会長。日本プロボクシング協会常任相談役。日本ボクシングコミッション役員実行委員。本名は米倉 健治、プロボクサー時代のリングネームは米倉 健志(いずれも読みは同じ)。福岡県直方市出身。
福岡県立福岡高等学校在学中にアマチュアボクシングを始めインターハイ出場、明治大学経営学部在学中、全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、メルボルンオリンピックに日本代表選手として出場。3回戦まで進んだ。
卒業後の1957年、米国シアトルで行われた世界ゴールデングローブに日本代表として出場。
1958年、田中を追い日興ジム所属でプロ転向。6月27日のデビュー8回戦で木村七郎相手に4R負傷判定勝ち。
1959年1月4日、福本篤人を倒し当時の最短記録となるプロ5戦目で日本フライ級王座獲得。同年8月、パスカル・ペレス(アルゼンチン)が持つ世界フライ級王座に挑戦したが敗退。9月10日に日本フライ級王座を返上。
1960年1月6日、レオ・エスピノサ(フィリピン)に勝利し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。その後、東洋バンタム級タイトル5度防衛を成功させる。

1963年、ヨネクラボクシングジムを開設。柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人の世界王者、30人以上の日本王者・東洋太平洋王者を育てる。
1986年から1989年まで全日本ボクシング協会の会長を務める。
1995年3月29日、スポーツ功労賞を授与される。70代後半を迎えた現在もなお指導に熱を入れている。
2017年4月27日、自身の高齢と体調の悪化などを理由として8月一杯を以てヨネクラジムを閉鎖して第一線から退くことを発表した。

今林久弥(俳優・プロレスアシスタントプロデューサー)
(いまばやし ひさや、1972年9月1日 )は、日本の俳優である。劇団「双数姉妹」所属。
福岡県福岡市東区の雁ノ巣出身。福岡県立福岡高等学校入学後、演劇部に入部。その頃オールナイトニッポンのパーソナリティをしていた鴻上尚史にあこがれ、氏の出身校である早稲田大学へ入学し演劇研究会に入会した。1991年、研究会の先輩達が旗揚げした双数姉妹に入団。1992年「キャリバンズ」が双数姉妹での初舞台であり、現在まで所属。その後大学は中退。俳優として双数姉妹だけではなく正統派の演技力で様々な劇団の客演やドラマやCMなどで活躍している。
鶴見 亜門としてDDTプロレスリング(ゼネラルマネージャー)として活躍。
2005年5月5日よりプロレス大会のマッスル4においてマッスル総合演出家、鶴見亜門という役名で登場した。
前説要員として「アシスタントプロデューサーの今林久弥」となる。

宮崎隆太郎(現役ボートレーサー)
Netで検索してみましたが見つけられませんでした。

鈴木淳(プロサッカー選手・福岡では史上初の高校生Jリーガー)
(すずき じゅん、1989年4月22日 )は、福岡県福岡市出身のプロサッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー。
脳神経外科医である父親の留学先、アメリカ合衆国バージニア州で兄の指導の下、3歳からサッカーを始める。
5歳の時に帰国し、小学3年生からアビスパ福岡U-12に所属。以降、U-15チーム時より各年代の代表に選出され続けた。その後U-18に昇格した2006年は当時高校2年生でありながらトップチームの練習試合に参加する様になり、2007年にはトップチームの春季キャンプにも参加。同年6月1日にトップチームに2種登録され、福岡ではクラブ史上初の高校生Jリーガーとなった。2008年に、ユース同期の大山恭平と共にトップチーム昇格を果たした。
2013年、東京ヴェルディに移籍。主に中盤を支えるボランチとして活躍した。
2015年、3年振りに福岡に完全移籍で復帰。ボランチとしてスタメンの座を掴み自己最多の9ゴールを記録。福岡のJ1昇格に貢献した。
2017年より大分トリニータに期限付き移籍。契約により出場不可であった福岡戦2試合と、第2節・東京V戦以外の全てのリーグ戦にスタメン出場。第29節・京都戦、第30節・山口戦、そして第31節・群馬戦で3試合連続得点を記録し、うち2試合では決勝点となった。計シーズン5得点を記録。
2018年、移籍期間満了により福岡へ復帰した。
本来は右利きであるが、サッカーする時の利き足は左である。

写真は中段サグラダ・ファミリア教会。下段福高の校舎中庭のオブジェ
小松親分とお酒の写真は引用で掲示します。




[402] Re: 著作権使用許可(学研)

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月24日(火)19時11分0秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.401[元記事へ]

> 学研、道徳副読本「みんなの道徳」
> 文:土井善胤氏 画:池田げんえい氏 です。
> 表紙を含めて6ページなので2つに分けて掲載いたします。
の後半部分です。




[401] 著作権使用許可(学研)

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月24日(火)19時08分12秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.396[元記事へ]

学研、道徳副読本「みんなの道徳」(平成17年・6年生用)につき学研社・著者・イラスト製作者につき悠々会ホームページ並びに悠々会DVDに収録することにつき許諾を得ました。(著者とイラスト作者については学研社から、原作者に確認する必要があるので、しばらく自らお待ちください。との連絡があり、その後著作権者へ確認ができ、了解をいただきましたとの連絡がありました。)
文:土井善胤氏 画:池田げんえい氏 です。
表紙を含めて6ページなので2つに分けて掲載いたします。



[400] Re: 著作権使用許可(西日本新聞)

投稿者: 久木田 投稿日:2018年 4月24日(火)08時05分27秒 pl9565.ag2323.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用 > No.396[元記事へ]

> 新藤一馬の「桧原桜」と併せて「福高賛歌(1)」から(43)までの西日本新聞の記事の、悠々会DVD並びに悠々会ホームページへの使用許諾を得ました。
> これからはコミュニティ広場の「福高賛歌」に記事を文字が判読できるサイズで掲載できることになりましたのでご報告いたします。
> なお、整理がついたら「福高賛歌」のすべての記事をHPに、更に後日作成の悠々会DVDに掲載いたします。
>

なお、西日本新聞社は「福高賛歌」を単行本として出版する予定です。詳細は未定ですが。



[399] Re: 弱者のため 全体のため

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月23日(月)18時37分55秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.398[元記事へ]

> 「コミュニティ広場」の写真は横幅の制約があるため、読み易くするため、文字部分のみ縦に並び変たものを更に引用して掲載します。
以上の3枚です。

> 西日本新聞(夕刊)1984年3月23日
> (西日本新聞提供 許諾済み)
>



[398] Re: 弱者のため 全体のため

投稿者: 図師顕輔 投稿日:2018年 4月23日(月)18時18分12秒 softbank060109009086.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.390[元記事へ]

> 掲載準備中の写真はまだあります。
> 道徳の教科書は西花畑小学校の本水校長先生より写しを頂きました。
> 西日本新聞の記事(昭和59年3月23日)と団伊玖磨の随筆「さてさてパイプのけむり」は福岡市総合図書館で写しを入手しました。
> 何れも著作権の問題がありますので掲載できるようこれから手だてを取ります。了解取れ次第順次追加掲載します。
>
写真掲載します。
「コミュニティ広場」の写真は横幅の制約があるため、読み易くするため、文字部分のみ縦に並び変たものを更に引用して掲載します。

西日本新聞(夕刊)1984年3月23日
(西日本新聞社 提供 許諾済み)


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