悠々会 コミュニティ広場

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カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


244件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[262] ノーベル賞受賞「大隅良典栄誉教授の記念講演」について(お知らせ)

投稿者: 悠々会DVD事務局 投稿日:2017年 7月26日(水)21時18分45秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

6月10日福岡国際会議場にて、福中・福高創立百周年記念の「大隅良典栄誉教授講演」が行われ、7月23日講演内容が公開されましたのでお知らせいたします。

その1.
福岡高校ホームページ(http://fukuoka.fku.ed.jp/)の新着情報に「7/23 創立百周年記念講演の動画を掲載しました」が表示されました。クリックすると記念講演と在校生による質問と回答が収録されています。樋口先生からの思い出も出てきます。ぜひご覧になってください。

その2.
かねて福高に大隅教授の講演録画の提供を依頼していましたが、ホームページの公開前日、7月22日に上記と同じものを悠々会に提供いただきました。後日(年末か年初頃)悠々会百周年DVDに収録して皆様に配布いたします。こちらは末永く皆様のお手元に保存いただけます。




[261] 舁き山・千代流れ疾走

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 7月23日(日)22時22分42秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

今回は山笠の福高入りです。
博多祇園山笠の舁き山笠の一つ・千代流れが7月11日夕方、福高に舁きいれた。「オイサ、オイサ」の掛け声とともに法被姿の男たちが福高の正門をくぐった。待ち受けるのは1年生401人、台上に上がるのは校長の井上拓夫(59)、生徒たちは「勢い水」で歓迎。
「福高入りけん(入軒)」は1986年(31年前)当時千代流れの総務である内藤純吉が決めた。以来内藤の長男真人(63)から綾部直樹(45)に引き継がれているとあります。
私らが卒業して27年、45歳のころから始まっています。ずいぶん変わりましたな。

以上 福高賛歌(14)でした。

ということで今回は悠々会ホームページ「写真集」から平成15年当時の山笠9人衆を転載しました。




[260] 久良君の葬儀に行ってきました。

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 7月23日(日)19時14分51秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

東福間の斎場にお別れに行ってきました。大桑・市原・柴田・図師の4名でした。久木田君は通夜に来ていたとのことです。
久良君はご存知の通り安川電気でロボット研究に従事して日本のロボット産業発展の基盤を築いた人です。
葬儀会場の入口に写真と伴に多くの表彰や御祝の品が並べられていました。

1981年 発明奨励賞
1985年 精密工学会論文賞
1986年 SME(Society of Manufacturing Engineer) Robot 10 Conference Outstanding Conf, Paper Award
1996年 精密工業技術賞
1999年 (財)工作機械技術振興財団 工作機械技術振興賞(論文賞)
2001年 計測自動制御学会著述賞
2007年 日本ロボット学会フェロー賞

2010年 楯:久良先生ありがとうございました。近畿大学九州工学部電気工学科卒業学生一同
2010年 退官祝い。これまでの感謝を込めて贈ります。日本酒[深](田主丸若松屋吟醸)佐藤貞之(教え子)

弔辞は九大の友人で九州工業大学名誉教授と福津市原崎市長でした。
原崎市長は久良君の息子と友人だったようです、弔辞を述べることは単に市長選の応援だけでなく広い人間関係を表していると推測されました。

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

追伸:葬儀のあと、JR古賀駅の近くの店で、3時から7時半まで4人で延々と飲みました。飲み代は全て崖っぷちの柴田君がおごってくれました。この場を借りて深くお礼申し上げます。





[259] Re: 訃報(久良君)

投稿者: 吉田 功  投稿日:2017年 7月23日(日)19時05分21秒 ntoska698212.oska.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用 > No.255[元記事へ]

> 悲しい知らせが入りました。
> 6組(福津市)の久良修郭君(6組福津市)が今夕(20日16時頃)逝去されました。

本日(7/22)、悠々会HPを開いて久良君の訃報を知りました。
昨日(7/21)は、関西福中・福高同窓会野鳥の会で「京都御所」へ探鳥会に行って
いました。実は、探鳥会の記事を投稿しようと思い悠々会HPを開きました。
久良君とは、小学校、中学、高校と同じで、高校の時は6組で同じクラスでした。
昨年12月の悠々会総会の時は、席が隣同士で、いろいろと話をいたしました。
100周年記念の同窓会には、急病で出られないと聞き、気がかりでしたが、
まさかの逝去、非常に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。



[258] Re: 訃報(久良君)

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 7月21日(金)18時26分24秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.255[元記事へ]

> 悲しい知らせが入りました。

本日(7月21日)市原・柴田・図師の悠々会DVD事務局メンバーで、大隅教授の百周年記念講演のデータを福岡高校にもらいに行ってきました。
データは,今少し編集する必要が生じたので後日郵送するという事になりました。
福高からの帰路、千代町のレストラン「アンド&」でもっぱら、久良君の話しになりました。
今年の1月13日、福高後輩の原崎智仁君が福津市長選に出馬するので、久良・柴田・市原・図師の4人で応援に行きました。
久良君は地元福津の住人ですから度々事務所を訪れ、出来る限り応援に来ているとのことでした。
元気でした。一緒に飲んだのですよ。・・・残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。
(写真は原崎君の応援を終え駅前のレストランで、先ずは一杯とビールを並べたところです。)



[257] Re: 訃報(久良君)

投稿者: オギちゃん 投稿日:2017年 7月21日(金)10時49分51秒 i222-151-8-165.s41.a014.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用 > No.255[元記事へ]

やっちゃんと一緒に4月中旬に古賀の居酒屋で杯を酌み交わし、
6月の記念同窓会でまた会いましょうと別れたばかりでしたのに・・・
本当に残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。




[256] Re: 訃報(久良君)

投稿者: クキタ 投稿日:2017年 7月21日(金)10時00分38秒 pl31283.ag2323.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用 > No.255[元記事へ]

今回の100周年イベントでは、6組の幹事として打合せに何度も出ていただいていたのに、直前に体調が悪いとのことで総会等には欠席とのことでしたが、まだ総会後の打ち上げも終わっていないというのに、こんな悲しい知らせが届くとは非常に残念です。
謹んでご冥福をお祈りします。

> 悲しい知らせが入りました。
> 6組(福津市)の久良修郭君(6組福津市)が今夕(20日16時頃)逝去されました。
> 福高創立100周年を楽しみにしていたのに、病気が悪化して参加断念の知らせが同窓会の直前に奥様から届いていました。5・6組幹事の集まりにも顔出ししてくれていたのですが、残念です。
> 謹んでご冥福を祈ります。下記お知らせします。
>
> 通夜: 7月21日(金)19時~
> 葬儀: 7月22日(土)13時~
> 斎場: 宗像紫雲閣 福津市津丸1202番1号 電話:0940-43-4444
>      JR:鹿児島本線 東福間駅より車で3分(旧国道3号線沿い)
>



[255] 訃報(久良君)

投稿者: 悠々会事務局 投稿日:2017年 7月20日(木)23時16分38秒 124-150-193-246.ppp.bbiq.jp  通報   返信・引用

悲しい知らせが入りました。
6組(福津市)の久良修郭君(6組福津市)が今夕(20日16時頃)逝去されました。
福高創立100周年を楽しみにしていたのに、病気が悪化して参加断念の知らせが同窓会の直前に奥様から届いていました。5・6組幹事の集まりにも顔出ししてくれていたのですが、残念です。
謹んでご冥福を祈ります。下記お知らせします。

通夜: 7月21日(金)19時~
葬儀: 7月22日(土)13時~
斎場: 宗像紫雲閣 福津市津丸1202番1号 電話:0940-43-4444
     JR:鹿児島本線 東福間駅より車で3分(旧国道3号線沿い)



[254] Re: 名物先生㊦

投稿者: クキタ 投稿日:2017年 7月17日(月)07時53分15秒 pl31283.ag2323.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

ガムちゃんの話もしてもらいたかったですね!!修猷館の先生とガムちゃんの間での、その年の九大合格者が少ない方が相手にお酒を送るという話について・・・



[253] 名物先生㊦

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 7月16日(日)19時12分14秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

今回は名物先生㊦です。
新聞記事は、福高を最近卒業したOBたちの話しとして、剣道部を指導する岩熊昌毅(60)と現同窓会会長藤和義(71)と体育教師の石橋國重(67)を紹介している。岩熊昌毅先生は岩熊重人先生のお子さん2代続いての福高教師、自称“鬼熊虎象”今年2月定年祝いがあり180人が恩師を囲んだとあります。藤和義は福高OBで社会科教師・教頭・校長・現同窓会会長と紹介されています。
以上 福高賛歌(13)でした。

上記の先生はいずれも直接教えを頂いたわけではありませんから、我々にとって、なじみが少ないのは如何ともしがたいとこです。

という事で我々はここで60年前からの3年間に、Back to the Futureしてみましょう。
「福中・福高創立百周年記念文集」の悠々会の皆さんの寄稿から、「先生の思い出」を拾ってみました。
以下の通りです。

『別格』
0.「金子みすずの『蜂』の詩に驚いた」樋口大成先生。
“ご存知の通り樋口先生は多彩な方で、文学作品も多く著作してあります。処女作は文芸同人誌「作家二六五号」に小説「寒水川」を載せてあります。「第11回、北九州市自分史文学賞」には「師団長だった父と私」を応募され応募総数358編の中から「大賞」を「受賞」され、学習研究社から2002に出版されています。2004年には丸善九州出版サービスセンターから小説・随筆集「明日香川」を出版され、ご他界前後に和香子様とともに「昭和の戦争と大正ロマンのはざまに生きて」を著述され2014年島影社より出版されています。
福中・福高創立百周年記念文集は先生の遺稿から都築和香子様が寄稿されたものです。”

『同窓生』
1.「人生の礎・福岡高校野球部」山室寛之。
“野球部長の小林彰先生が終戦の翌日昭和20年8月16日に最初に硬式ボールを握ったこと”“前川監督が決死の思いで、スト破りまでして都市対抗決勝戦決行を決めた事など”
2.「文武両道?(運動部の仲間と)」松村忠彦。
“体育祭までは運動一辺倒、やっと10月からバレー部の主将安井君と、猛勉強。二人とも九大法学部に合格。クラス担当の山前先生から『12月まで掲示表にも掲らなかった安井と松村が現役合格したのが嬉しい。自分が担当した中でも本当に感激した出来事だ。これぞ文武両道の極みだ。』と後々まで話されたこと。”
3.「『福高』大好き、入学して60年」島田隆士。
“近所のラーメン屋での岩熊先生との温情・すごい先生の話し。”
4.「剣道部の思い出」高橋真一。
“部長は花谷登先生、師範は夜間部の吉田先生(非常勤)。初代の三角卯三郎先生を始祖として歴代の世代ごとの想い出や、現在は親子二代の岩熊昌毅のご指導に深く感謝しています。など”
5.「“潟洲町”青春期―“酒・煙草の薫り”から“下駄履き騒動”までー」茅嶋洋一。
“1年生のとき、「アオ」さん(山本先生)に「アオ肥ゆる秋」といって教室から追い出され、出入口で「アオよ別れだ、達者で暮らせ!」といったが、2年生の時図書館で「禁持ちだし」となっている吉田松陰全集を図書館長の山本先生が、茅嶋には貸出してよいといってあったこと。
2年の漢文の授業中に別の本を読んでいた茅嶋君に「茅嶋、次を読んでみろ」といわれ、詩吟調で長々と読んでそれから2度と指されることはなかった事。
3年のガムちゃんこと小川先生の「寒山・拾得」の「笑い」で次と次の次の授業まで生徒の議論を見守っていたこと、今でいう「アクティブ・ラーニング」。
同じく3年の日本史。教師が茅嶋君の質問に応じていたら、授業が最後まで終わらないので質問に応じないという事に生徒が同意した。同意した生徒達に立腹したが、「幕末から明治近代史にかけては授業を一歩も進ませない」と宣言。そのために図書館で資料収集、優等生から迷惑になると教師に告げられ、教師が九大の合格者が減ったら困る止めてくれと言われ、今後授業に出ない試験も受けない、それでも成績は『五』としますか言ったらその通りになったこと。
又大学4年のとき教育実習でその教員が教科主任で、君に来られたら困ると言われ2週間の教育実習で3年間の教育が覆るのかと告げて母校を辞したこと。その後筑紫女学園での教育実習は非常に評価が高かったこと。
3年生の春「下駄履き禁止」の職員会議決定があり、生徒会に呼びかけて、生徒部教師と「校訓」論争になり完膚なきまで論破した。しかし職員会議は決議を撤回せず、その実施を強行することもなく、黙認することで大人の解決策をとった。この騒動での処分は一切出されなかった。”
6.「手芸部の思い出」溝口(西川)博子。
“いつも穏やかな笑顔で接して下さった松月先生”
7.「美術部員だった私」福澤(大隅)順子。
“熊野先生の教育方針は明らかで「上野の美術学校」をしのばせるデッサンがすべて、いわゆる芸術家タイプであったこと。”
8.「ラグビー雑感・『走り回った60年前』」中西博宣。
“熱血指導の新島清(元日本代表主将)監督、兄貴肌の門田久人部長などの指導と訓練と幸運のお陰で2年生・3年生と国体全国大会に出場を果たせた。”
9.「貴重な二つの置き土産」岩澤巌。
“川崎先生とのお付き合い:2年の正月先生のお宅に20人でお邪魔してお酒とウイスキィを賞味したこと。
卒業から25年、偶然川崎先生との再会:天山スキー場を造る計画で福岡のスキー連盟と会議、その懇親会の席で川崎先生と再会、悠々会の総会の案内を約束。
川崎先生からのお土産:卒業25周年の悠々会総会の時川崎先生から「昭和34年3月旅行日程表(修学旅行のスケジュール表)」をいただいたこと。(岩澤君に連絡すれば、手に入れられると思います)
追伸として昭和35年の卒業時の先生方は、名誉会長の小林彰先生だけになってしまったこと。”
10.「福高に入学して間もない頃」葉山安信。
“大塚俊夫先生:眼鏡の奥に優しい目が光る飄々とした態度で話される。
長田先生:卒業アルバムを見ると地学の先生になっているが、生物の授業を受けた。黒板のシダの受精の図を色チョークで使って描かれる。その美しさに見惚れながら必死でノートに写した。
小野先生:禿頭の優しい風貌や親しみやすい話しぶりは授業に難渋している時の救いであった。”
11.「化学部の思い出」故吉田恭孝。
“指導された樋口先生”
12.「私と音楽部」末松正三。
“普段の練習は自分たちだけで、江口先生はコンクールの前日と当日だけ(当日だけだったような?)、生徒たちの自主性を重んじて?3年の文化祭の行事の一環であったのであろうか江口先生のピアノ演奏を聴くことが出来た。渡辺通りの電気ホールだったと思う、ベートーベンの”月光の曲 第一楽章“と”エリーゼのために“の2曲だ、やはり先生はピアノもうまいなと感激した。”
13.「水球で全国大会(全国高等学校体育大会)浜松に出場 昭和34年」三木昭男。
“昭和34年夏、吾が校が推薦され、岩熊先生と高木先輩が引率者で全国大会/浜松に行きました。夏休み中で在校生にはほとんど知られないままのインターハイ出場で見送りには当時生徒会長の園井君だけが博多駅にきてくれました。
追伸:1年入学の初日、担当の山前先生(数学)があいさつの中で、このクラスは優秀な生徒が多い、「入学試験1番の千手君、3番の石川新助君がいる」”
14.「『軟式テニス部』の想い出」阿川喬司・柴田忠良。
“卒業記念アルバムだが、元気が出てきた後輩と今は亡き部顧問の川崎先生(チャイナ)の元気なお姿が懐かしい。”
15.「森貞次郎先生の業績を追って」図師顕輔。
“昭和35年福岡高校の3年1組は森貞次郎先生が担任であった。夏休みをまぢかに控えたころだった。授業の話しは全く覚えていない。授業が終わった後、先生は板付遺跡のことを語っていた。”
16.「半世紀をこえて今も記憶に残る福岡高等学校諸先生の教えなど」中井孝。
中井君の意向を推測して、各先生の教科と名前のみ記載します。“英語の斎藤先生・日本史の森先生・西洋史の前川先生・漢文の小野先生・古文の八木先生・古文の平山先生・美術の熊野先生・音楽の江口先生・体育の岩熊先生・化学の樋口先生・校長の長先生”
16.「物理部の思い出」中山進。
“顧問の貝原先生がブラウン管から放射能が若干出ているということでガイガー計数管で測定しましたが計測不能で何ら問題はなかったようです。”

以上 福高賛歌(13)から少しはみ出し、我らが先生の思い出部分でした。


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