悠々会 コミュニティ広場

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カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


194件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[209] 悠々会記念DVD文集の締切について

投稿者: 悠々会DVD事務局 投稿日:2017年 5月28日(日)16時08分33秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用

悠々会記念文集につきましては当初昨年の12月末まで、次いで2月末、4月末までと追次延長してお願いし、それぞれの締め切り時期に間に合わせようとご努力頂いた方々に「度重なる延長に、何たることぞ!!」とお叱りを受ける思いです。誠に申し訳ありません。
深くお詫び申し上げますとともに、寄稿いただきました原稿に重ねてお礼を申し上げます。
これまで貴重な素晴らしい寄稿を沢山いただきましたが、まだまだご寄稿いただける方がありますので、時間の許す限り重ねて時期を延長したいと思います。
実は本年11月に福高創立百周年を記念して福高・修猷館・筑紫丘の剣道大会があるのでそのビデオ撮影を最終としたいと思います。
ついてはビデオの編集やDVDの作成に時間を要しますので、文集・写真集は極力夏の終わり頃までには寄稿いただきたくよろしくお願い申し上げます。




[208] Re: 校歌にまつわる話

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月28日(日)11時38分54秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.207[元記事へ]

> 校歌原本の発見:

> 作詞:
> 当時福中で国語を教えていた川原三郎先生が草稿を作り、旧制五高(現熊本大)八波則吉教授(修猷館中学・第五高校・東大国文科卒、当時旧制五校教授、後に文部省で尋常小学校の国語読本・巻1から巻8まで作成、日本の国語の父と呼ばれている)が添削して原本には朱書きで27か所の書き込みがある。

> ところで話は現代。石飛英二氏ら福中23回生は100周年を記念して校舎前のロータリーに創立精神を刻んだ記念碑を建てた。記念碑には「福中魂」の文字も刻まれている。
>

と言うことで、福高に行って写真を撮ってきました。
1番上が校歌原本です。
  草稿なので完成した歌詞とはかなり異なります。(これは「福中・福高90周年誌」より、カラーでないので朱書きは表現されていませんが、相当書き込みがあります。)
2番目が石飛栄二氏とともに中学23回生(90歳)が建てた記念碑です。
  大きく「福中魂」と刻んであります。
3番目が校門右横にある掲示板の写真。(良いのが掲示されていたので撮ってきました。)
  左から「リオ・オリンピック出場の福岡堅樹選手」、中央に「大隅良典氏のノーベル賞受賞のお知らせ」、右に「福高創立百周年のポスター」



[207] 校歌にまつわる話

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月27日(土)21時38分25秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

校歌原本の発見:
2002年(平成14年)校舎の耐震強化工事が行われた。その際45年以上前(つまり学校創立40周年の年、言うまでもなく昭和32年は我々の入学の年です)発行の同窓会機関紙「朝ぼらけ」が発見された。
その中に石飛朋一先生の“福中25年”という記事があり、その機関誌「朝ぼらけ」に“校歌の原本を自宅に保管している”と記載されていた。
その「朝ばらけ」を息子の英二さん(中学23回卒・現在90歳)に送ったところ、石飛朋一先生の遺品の中から記事の通り校歌原本を発見した。貴重な品なので学校に寄贈したとあります。

校歌そのもの:
校歌は開校4年目の1920年(大正9年)に発表された。

校歌誕生までは
作詞:
当時福中で国語を教えていた川原三郎先生が草稿を作り、旧制五高(現熊本大)八波則吉教授(修猷館中学・第五高校・東大国文科卒、当時旧制五校教授、後に文部省で尋常小学校の国語読本・巻1から巻8まで作成、日本の国語の父と呼ばれている)が添削して原本には朱書きで27か所の書き込みがある。
作曲:
福岡師範学校(現福岡教育大)の松園郷美が曲を付けた。
発表会:
大正9年2月11日校舎の一部として使われていた倉庫で披露、ピアノがなかったため、数学科教諭だった佐々木秀勝先生がバイオリンで伴奏。
え!! 数学の先生がバイオリン。学校創立4年目、まだまだ新設校。場所は倉庫であろうと、当初から多才な先生がいたものですね。

ところで話は現代。石飛英二氏ら福中23回生は100周年を記念して校舎前のロータリーに創立精神を刻んだ記念碑を建てた。記念碑には「福中魂」の文字も刻まれている。
今回の記事の最後に、福中・福高の歴史の中で繰り返し説かれてきた精神を「人としての道しるべにしてもらいたい」と石飛は願っている。で締めくくられています。
(「福中・福高90年誌」から一部引用補足しています)
以上 福高賛歌(7)でした。





[206] 中国の今その3掲載しました

投稿者: DVD事務局 投稿日:2017年 5月24日(水)22時20分31秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

その3は三木兄が燕山大学で日本語教師をしていた時代の話です。
日本語を教えるのは勿論ですが、燕山大学は地方大学の1つですから、なかなか日本の1流企業からの求人が来ません。
生徒たちに何とか1流企業に入ってもらって日中友好の柱になってもらおうと、ネットで履歴書を送ったり、生徒を連れて北京や天津の説明会に行ったり、大奮闘されます。
その結果幾多の生徒を日本の1流企業に就職させています。
なかには日立本社常務からお褒めいただくような生徒も輩出します。
奮闘記の一部をご覧いただき、実際入社した教え子たちの感謝や報告のメールは次回やその次に掲載いたします。
悠々会トップページ「文集」から入ってください。



[205] Re: オペラ15年、最後の公演

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月23日(火)17時15分22秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.203[元記事へ]

> そして今年4月、演題はモーツアルトの「魔笛」、厳しく指導された通り喉を開いて思いっきり歌いました。思い残すことのない、最高の歌唱が出来ました。

写真が送られてきましたので掲載します。(写真はダブルクリックすると大きくなります)
「H29-4月9日オペラ公演、モーツアルト「魔笛」/さくらめいと・熊谷市」との添え書きが付いていました。



[204] Re: オペラ15年、最後の公演

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月23日(火)10時25分16秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.203[元記事へ]

> ………そして今年4月、演題はモーツアルトの「魔笛」、厳しく指導された通り喉を開いて思いっきり歌いました。思い残すことのない、最高の歌唱が出来ました。
……写真を添付しましたが・・・どうもうまくいかないようです?

最高の出来、惜しまれて退団との事。まずは合唱団めでたく卒業おめでとうございます。
まだまだこれからも音楽を楽しまれるとの事。いいですね。

ところで、写真の追加方法
タイトルをクリックすると靑から黒にタイトルの文字が変わります。そこで一番下まで画面を下げていくと右下に「この記事を編集する」が出てくるのでクリックすると「自分の投稿【編集】」のページに変わります。「内容」の右(白抜きの枠の上)に「画像ファイル」があるのでそこをクリック。白抜きの枠の下にファイル1・ファイル2・ファイル3と縦に並んでいるので、「ファイル1」の右の枠の右の「参照」をクリックするとどの写真をアップするか探せるようになっていますので、マイピクチャ―とかデスクトップとか操作して目的の写真を見つけたら、そこをクリックすれば投稿記事に追加添付できます。



[203] オペラ15年、最後の公演

投稿者: 中山泰一  投稿日:2017年 5月22日(月)12時37分18秒 softbank126071001234.bbtec.net  通報   返信・引用

私の後半人生は音楽が中心でした。60歳の時、某ガラコンサート用にオペラ合唱団の応募があり、会社には極秘で応募し1年後公演。題目は「アイーダ」、これを原語(イタリア語)で歌いました。その時16小節を私がソロで歌い、先生から大変褒められたのがきっかけで、埼玉県北では有名な混声合唱団に入団しました。以来15年間で5回のオペラを楽しみました。練習は週1回、通常90分のオペラを暗譜で演出するには2~3年かかります。立ちっぱなしですから体力も要します。そして今年4月、演題はモーツアルトの「魔笛」、厳しく指導された通り喉を開いて思いっきり歌いました。思い残すことのない、最高の歌唱が出来ました。収容1000人の会場に1100人入りました。自身チケットを72枚裁きました。皆さんから絶賛の声をいただきました。感動です。そして75歳の私が最高齢となった今、惜しまれながら(^_-)-☆引退することにしました。私の次が70歳、最若手は23歳ですからね。”老兵は去るのみ”です。福高100周年総会間近、思い立って書き留めました。この他ではハワイアンバンド13年、70歳過ぎて始めたアルトサックスとまだまだ音楽を楽しんでいます。写真を添付しましたが・・・どうもうまくいかないようです?



[202] Re: 校舎の設計者…ついに判明か

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月22日(月)10時47分31秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済 > No.200[元記事へ]

> 校舎の設計者は誰か
> 現在の校舎の外壁をよく見ると白と灰色のまだら模様になっている。外壁の補修工事のためである。タイル1枚1枚をチョックして損傷があって剥離しそうなものを剥がして新しいタイルと交換したためです。3年から5年すると色の落差が無くなるとのことです。
>
> さて校舎は山野氏が言うように「歴史的建造物の画期的活用事例として先駆的で重要」に高く評価されているが、中庭は福高OBの世界的に著名な彫刻家外尾悦郎氏(スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)の作品で「福高パティオ」として現代的な芸術空間に生まれ変わっている。

1.写真は現在の校舎です。(ダブルクリックすると大きくなります)
①外壁が白と灰色のまだら模様になっているのがお分かりいただけますね。
②懸垂幕にはノーベル賞の大隅教授の文字が大きく記載されています。
③門柱を大正8年建築された木造建物の写真と比較してみて下さい。同じものであるのがお分かりいただけると思います。ただし鉄製の門扉はいつの時代か交換されています。

2. 外尾芳郎氏が主任彫刻家となっている、スペイン、バルセロナにあるサグラダ・ファミリア(世界遺産)はWikipediaのこちらのURLをご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2



[201] Re: 校舎の設計者…ついに判明か

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月20日(土)20時54分53秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用 > No.200[元記事へ]

> 校舎の設計者は誰か
新聞の写真です。コミュニティ広場の写真は1回につき3件しか掲載できないので紙面を別にしました。



[200] 校舎の設計者…ついに判明か

投稿者: 図師 顕輔 投稿日:2017年 5月20日(土)20時49分27秒 softbank126029003247.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

校舎の設計者は誰か
101年前(大正5年1916年)福岡県議会の議決で急遽新設された福岡中学は100年前(大正6年4月1日1917年)修猷館の寄宿舎を仮校舎として開校した。(写真上)
寄宿舎とはいえ当時の建物としては写真で見る限り立派なものです。
それから2年経過、大正8年12月潟洲町の現在地に木造新校舎に移転。(写真中)
木造とは言えこれも当時としては立派なものではありませんか。車寄せもあります。
また、門柱にも注目して下さい。現在のものと一緒です。扉だけは替えているようです。
それから8年経過、昭和2年6月23日火災にて消失した。(写真下)
焼け跡の写真ですが立派な正面玄関の面影があります。
それから2年経過、昭和4年4月現在の校舎新築。
正面玄関は木造校舎の玄関を拡大したようなものですね。

それから88年経過、平成24年現校舎は県有形文化財に指定された。
現、福高の校長井上拓夫は校舎の場所によっては冷暖房が利かない場所があるとの事。「建物が相当古いから」とどこか自慢げに笑顔を見せる。

88年の長い年月を経る間に、旧制中学時代に建てられた校舎は福高の校舎のみとなってしまった。
太平洋戦争の福岡大空襲(1945年)にも大きな損傷を受けず、重厚な構えが伝統を醸し出している。
そう言えば入学(昭和32年)したころ、空襲を避けるため校舎の外壁は迷彩用の黒塗りの模様が残されていましたね。

これまで、現校舎は1996年(平成8年)に設けられた校舎前のプレートにより三條栄三郎(福岡県公会堂貴賓館=国重要文化財)の設計と説明されていました。
ところが、日本建築史の専門家で福高OBの山野善郎(59)氏の研究により新たな説が有力視されています。
三條氏は火災前に長野県に転任しており、実際は県営繕課の初代課長だった薄(すすき) 與莊(よおう)が設計した可能性が高いとのこと。
山野氏によるとそれまでレンガ造りだった洋風建築が、鉄筋コンクリートにタイルを貼ったり石造り風に仕上げたりと変化した頃の建造物とのこと。

現在の校舎の外壁をよく見ると白と灰色のまだら模様になっている。外壁の補修工事のためである。タイル1枚1枚をチョックして損傷があって剥離しそうなものを剥がして新しいタイルと交換したためです。3年から5年すると色の落差が無くなるとのことです。

さて校舎は山野氏が言うように「歴史的建造物の画期的活用事例として先駆的で重要」に高く評価されているが、中庭は福高OBの世界的に著名な彫刻家外尾悦郎氏(スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)の作品で「福高パティオ」として現代的な芸術空間に生まれ変わっている。
この話の続きは後の機会にとのコメントが最後にあります。
写真は 福中福高90周年誌より
以上 福高賛歌(6)でした。


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